タクシードライバーってマーティンスコセッシだったんだ・・・という驚き
マーティンスコセッシのイタリア映画旅行みたいなの買っておいてなんだけど
シャッターアイランドやグッドフェローズとタクシードライバーじゃ雲泥の差があるので驚き
てか監督名だけ語って知識自慢てはっきり言って意味ない
フィルマークスとかの感想サイトてマジで感想でしかない
まともな映画分析してるサイトほんと少ない
内田樹とかの本読んで思ったのは映画の勉強って結局は絵画や写真、物語構造、心理学、あらゆる知識をもったいわゆる文化人の感受性の批評自体がなくなってる
映像を記号として捉えて分析する批評も見ないし
あと歴史的な面でも技術、経済、社会、美学
とくにこの中でも技術に関しては完全にITバカの閉鎖空間が出来ててCG云々に関しての分析が欠けてる
イングロリアスとジャンゴの共通点
なりたくないものに演じる しかもバレちゃダメ
こういうシチュエーションだから冗長な会話シーンにも緊迫感が出る
よって映画時間も長くなる
以上
24時間テレビを全く見なかった、そもそも存在に気付かなかった話
理由は簡単でPCにネトフリがあるせいでテレビで映画を見ることがなくなり、テレビは常に親が占領するようになり
24時間テレビに気付かなかった
5chもとうぶんやってないので、24時間の存在自体に気付かなかった
以上
アマプラ見れることに最近気付いた
アマプラビデオ追加料金いるのかと勘違いしてた
ウェストワールド
ソプラノズ
ワイヤー
シリコンバレー
トゥルーディテクティブここらへん見れるのいい
ゲースロはそんな興味ない
趣味の義務化とその原因
純粋に映画を楽しめたのは高校生までだろう
大学になりスマホやPCを手に入れるとネットで時間を潰すことになった
ネットフリックスに入って(逆に言えば入るまでの1年か2年は映画を全く見ない時期があったのか?覚えてない)それからも趣味として海外ドラマや洋画を見てきた
ここまでは趣味としてまだ楽しんでいた
しかし分析や歴史など映画の知識に目を向け始めると、、、
確かに最初は興奮したが今では素直に義務化してつまらなくなったと認めることができる
そもそもあるきっかけで映画の分析が存在することを知ったのだが(つまり人文的学問分野に一応学問として映画学がある)
そうなると見なければとなりついついつまらない古典映画(市民ケーンは面白かったが)を見なければと義務感が出る
あとは月に何本など何故かノルマを課す
時折年に何本見るなどと言う人がいるが、自分も似たようなもので自分はこれを勉強したみたいになっているのだ
好きで見ればいいのだから義務感を感じた時点で終わりだろうと思うし、監督の名前だの照明だのアングルだのプロットだの気にする必要は全くないのだ
好きでそういうことを考えているなら、いいが自己実現的に(つまり「映画に詳しい自分」)という自己実現のために義務感を感じたら終わりだろう
ここ数年を振り返って自分を何者かにしたいがために無駄な知識のたくわえや努力、熱中してます感を義務的に抱きあげくの果てに燃えかすになっているのに気付いた
と言っても高い本は既に購入しDVDにもネットフリックスにも金を払ったわけで
まあくだらん
あとツイッターもよくないだろうただ競争心を煽るだけだ、交流を140字メディアで感じれて楽しいというなら別だが
最初は知識収集が目的で意識高めに始めたツイッターだが物の見事に形骸化している
まあこれを繰り返すなら自分は物事を好きでいる才能がなさ過ぎる 飽きる天才かもしれない