シネフィル気取りのブログ

1日1本は映画見ようかと ショットやモンタージュ、映画の本質を読み解ける人間になるため日々精進

趣味の義務化とその原因

純粋に映画を楽しめたのは高校生までだろう
大学になりスマホやPCを手に入れるとネットで時間を潰すことになった
ネットフリックスに入って(逆に言えば入るまでの1年か2年は映画を全く見ない時期があったのか?覚えてない)それからも趣味として海外ドラマや洋画を見てきた
ここまでは趣味としてまだ楽しんでいた
しかし分析や歴史など映画の知識に目を向け始めると、、、
確かに最初は興奮したが今では素直に義務化してつまらなくなったと認めることができる
そもそもあるきっかけで映画の分析が存在することを知ったのだが(つまり人文的学問分野に一応学問として映画学がある)
そうなると見なければとなりついついつまらない古典映画(市民ケーンは面白かったが)を見なければと義務感が出る
あとは月に何本など何故かノルマを課す 
時折年に何本見るなどと言う人がいるが、自分も似たようなもので自分はこれを勉強したみたいになっているのだ 
好きで見ればいいのだから義務感を感じた時点で終わりだろうと思うし、監督の名前だの照明だのアングルだのプロットだの気にする必要は全くないのだ
好きでそういうことを考えているなら、いいが自己実現的に(つまり「映画に詳しい自分」)という自己実現のために義務感を感じたら終わりだろう

ここ数年を振り返って自分を何者かにしたいがために無駄な知識のたくわえや努力、熱中してます感を義務的に抱きあげくの果てに燃えかすになっているのに気付いた

と言っても高い本は既に購入しDVDにもネットフリックスにも金を払ったわけで
まあくだらん
あとツイッターもよくないだろうただ競争心を煽るだけだ、交流を140字メディアで感じれて楽しいというなら別だが
最初は知識収集が目的で意識高めに始めたツイッターだが物の見事に形骸化している
まあこれを繰り返すなら自分は物事を好きでいる才能がなさ過ぎる 飽きる天才かもしれない